東京地方裁判所 昭和30年(行)61号 判決 1960年6月10日
原告 佐々木正泰 外二名
被告 国・東京都知事・東京都目黒区議会・東京都目黒区長・東京都北区議会・東京都北区長
訴訟代理人 板井俊雄 外一名
主文
本件訴はいずれもこれを却下する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者らの申立
一 原告佐々木正泰並びに原告植田八郎、同藤田久三両名の代理人は、次のような判決を求めた。
(一) 原告ら三名と被告国及び同東京都知事との間で地方自治法第二八一条の二中特別区の区長選任の方法に関する規定、すなわち「特別区の区長は特別区の議会が都知事の同意を得てこれを選任する。」とある部分は違法の定めに適合しないものであることを確認する。
(二)(1) 原告佐々木正泰と被告国、同東京都知事、同東京都目黒区議会、同東京都目黒区長との間で昭和三〇年四月二二日に任期満了した東京都目黒区長の選任権は原告佐々木正泰に存することを確認する。
(2) 原告佐々木正泰と被告東京都知事、同東京都目黒区議会、同東京都目黒区長との間で東京都知事安井誠一郎の同意のもとに昭和三〇年六月三〇日目黒区議会においてなされた広瀬俊吉の東京都目黒区長選任は無効であることを確認する。
(三)(1) 原告植田八郎と被告東京都知事、同東京都目黒区議会、同東京都目黒区長との間で、昭和三三年四月二八日に退職した広瀬俊吉の後任の東京都目黒区長の選任権は原告植田八郎に存することを確認する。
(2) 原告植田八郎と被告東京都知事、同東京都目黒区議会、同東京都目黒区長との間で東京都知事安井誠一郎の同意のもとに昭和三三年六月二日東京都目黒区議会においてなされた君塚幸吉の東京都目黒区長選任は無効であることを確認する。
(四)(1) 原告藤田久三と被告東京都知事、同東京都北区議会、同東京都北区長との間で昭和三三年六月一九日に退職した高木惣市の後任の東京都北区長の選任権は原告藤田久三に存することを確認する。
(2) 原告藤田久三と被告東京都知事、同東京都北区議会、同東京都北区長との間で東京都知事安井誠一郎の同意のもとに昭和三三年六月二五日東京都北区議会においてなされた小林正千代の東京都北区長選任は無効であることを確認する。
(五) 訴訟費用は被告らの負担とする。
二 被告ら代理人は、主文と同旨の判決を求めた。
第二当事者らの主張
一 原告佐々木正泰並びに原告植田八郎、同藤田久三両名代理人は、請求の原因及び被告らの本案前の主張に対する反論として次のとおり陳述した。
(一) 東京都特別区の区長は憲法第九三条第二項の定めにもとずいて制定された昭和二二年四月一七日法律第六七号地方自治法第二八三条、第一七条の規定に則り特別区住民の直接選挙の方法によつて選任されていたが、昭和二七年八月一六日法律第三〇六号地方自治法中一部改正に関する法律第二八一条の二(以下本件改正規定という。)が制定され、特別区長は東京都知事の同意を得て特別区議会がこれを選任することとなつた。
(二) しかしながら右改正規定は憲法の規定に反して無効である。その理由は次のとおりである。
(1) 特別区の沿革
東京都における区は、明治一一年一一月の郡区町村編法の施行によつて誕生し、翌一二年二月東京府達の規則によつて区会が設置され、財産を所有し、自ら事業を起し、その費用を賦課徴収する権能を有する地方自治体として発足した。同二二年四月市制の施行によつて一五区の地域に東京市が成立し、同四四年一〇月市制の改正によつて区は法人格を認められた。昭和七年一〇月隣接八二町村を市に編入してこれを二〇区に分ち、合計三五区となつた。同一二年七月の支那事変の勃発後は漸次自治権が圧縮され、大平洋戦争突入後の昭和一八年七月には東京都制の施行に伴つて区は都の一行政区画となつたが、ポツダム宣言受諾後の昭和二一年九月に都制の改革が行われて区は従前の事務に加えて法令により区に属するとされる事務を処理する外課税権、起債権を認められ、かつ区長は区住民の公選となり、ここに再び特別区としての法人格を回復した。翌二二年三月区域の廃置分合が行われて二二区となり、その後一区を増して現在の二三区となつた。同年五月地方自治法の施行によつて区の権限が拡張され、特別地方公共団体として名実ともに完全な自治体となつた。以上のとおり東京都の区は昭和二一年九月の都制の改革後の三年三ケ月間を除いては明治一一年一一月の郡区町村編法の施行以来六八年余の間法人格を有する地方公共団体としての機構を保持してきたのである。
(2) 特別区の性格
地方自治法第二八一条第一項は都の区を特別区とし、同条第二、第三項は特別区の自治及び行政の両面に亘る機能を定め、同法第二条の二は特別区は地方公共団体のうちの特別地方公共団体に属すること明らかにしているが、同法第二八三条は「政令で特別の定めをするものを除く外、第二編中市に関する規定は特別区にもこれを適用する。」と規定し、同法附則第一七条も「他の法律中市に関する規定は、政令及び特別の規定を設ける場合を除く外、特別区にもまたこれを適用する。」と規定して特別地方公共団体のうちでも特別区は地方公共団体の組合及び財産区とはその性格を異にして普通地方公共団体である市と同一の性格を有するものであることを明らかにしている。さらに昭和二二年に地方自治法の制定された第九〇回帝国議会における審議の際の所管大臣の提案理由の説明及びこれに対する質疑応答、地方自治法の施行に関する内務次官の通達等についてみれば、東京都は道府県と同様に二三の特別区と七の市と六八の町村と大島、八丈島、三宅島の三支庁の基礎的地方公共団体を包括する複合的地方公共団体であり、特別区は行政組織上市町村と同様に基礎的地方公共団体として国及び都の両者に対する関係で一つの基礎的地方公共団体としての性格を有することが明らかである。
特別区住民の区政に対する共同意識は都政に対するそれよりも決して稀薄とはいいがたく、区が住民の代表者によつて区の意思決定を行う区議会を有し、区民税その他の徴収金によつて多くの固有事務及び法令条例の定めによる行政事務を処理していることはそれ自体住民の共同意識の表われと見ることができる。仮りに共同意識が稀薄であるとしても、地方公共団体の存在は民主政治の確保と地方分権の徹底を期する国策の根本要請にもとずいて必要欠くべからざる制度として設けられた憲法上の制度であるから、その団体の性格は憲法その他の法規の上で決定されるべきであり、共同意識の如何により決定されるべきではない。また特別区が地方税法上課税権を有せず、道路法、水道条例、都市計画法、伝染病予防法等において市に関する規定の適用を除外しているのは地方分権による民主政治の徹底を期する憲法の趣旨からしても不当であるが、そのことは直ちに特別区の地方公共団体性を否定するものではない。
(3) 憲法第九五条違反について。
特別区が基礎的な地方公共団体であり、市とは同一の性格を有する自治体であることは前述のとおりであるから、特別区に関する法律は憲法第九五条にいう「一の地方公共団体のみに通用される法律」に外ならない。しかして本件改正規定は特別区の住民からその首長の選挙権を奪い、これを区議会の権限に属せしめんとするものであるから憲法第九五条にいう「特別法」に該当し、したがつてその制定はその適用を受ける特別区の住民投票に付し、その過半数の同意を得ることが必要である。しかるに本件改正規定の制定は右手続を経ていないので右規定は憲法第九五条に違反し無効である。
(4) 憲法第九二条違反について。
地方自治法第二条の二が地方公共団体を市町村、特別市、特別区等の基礎的地方公共団体と数個の基礎的地方公共団体を包括する複合的地方公共団体、すなわち都道府県の二種類を設けたのは、憲法第九二条にいう地方自治の本旨にもとずいて中央集権を排して地方分権を確立し、もつて地方行政の民主化を図り、中央政治による地方自治への圧力を排除せんとしたものに外ならないが、本件改正規定は地方自治上最も重要な特別区の首長の選任につき都知事の同意を要するものとして特別区の自治権を大幅に削り、その性格を単なる行政区に近ずけるとともに都知事による区政への圧力の可能な機構を作らんとするものであつて憲法第九二条の精神に反して無効というべきである。
(5) 憲法第一五条、第九三条、第一一条違反について。
特別区は前述のとおり市と性格を同じくする基礎的地方公共団体であるから、特別区長は憲法第九三条第二項にいう「地方公共団体の長」に外ならないので、特別区の住民は同項及び憲法第一五条、第一一条によつて特別区長を選挙する権利を基本的人権として保証されている。しかるに本件改正規定は特別区の住民からその首長である特別区長の選挙権を奪わんとするものであるから、憲法の右各条項に違反して無効である。
(6) 憲法第一四条違反について。
特別区の住民からその長である特別区長の直接選挙権を奪うことは市町村の住民との間に甚しい不平等を生ずる。すなわち市町村の住民は都知事の直接選挙とともに市町村長の直接選挙をも行うことができるが、本件改正規定によれば特別区の住民は都知事の直接選挙を行い得るにすぎなくなるのであるから、法の下における平等を保証する憲法第一四条に違反して無効である。
(三) しかるに被告東京都目黒区議会(以下単に被告目黒区議会という。)は地方自治法の本件改正規定が適憲有効であることを前提として昭和三〇年六月三日、被告東京都知事の同意のもとに同年四月二二日に任期満了した東京都目黒区長(以下単に目黒区長という。)の後任として広瀬俊吉を選任し、さらに昭和三三年六月二日、同じく東京都知事の同意のもとに同年四月二八日に退職した広瀬俊吉の後任として君塚幸吉を目黒区長に選任し、また被告東京都北区議会(以下単に被告北区議会という。)は昭和三三年六月二五日、同じく東京都知事の同意のもとに同年六月一九日に退職した高木惣市の後任として小林正千代を東京都北区長(以下単に北区長という。)に選任した。しかし右選任はいずれも前述のとおり憲法に違反して無効な本件改正規定にもとずくものであるから無効である。よつて原告らは被告らに対し本件改正規定が憲法に違反して無効であることその他請求の趣旨記載のような確認を求める。
(四) 請求の趣旨(一)の(1)に関する本案前の主張に対する反論
(1) 憲法第七六条はいわゆる司法権(裁判権)の行使は最高裁判所及び法律の定めるところにより設置された下級裁判所の権限に属すべきことを規定しているが、裁判所の権限はいわゆる司法権の行使にのみ限定される旨の規定はない。しかも最高裁判所については憲法第七六条、第八〇条により特別の権限が附加されている外憲法第八一条は何らの条件を付することなく「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する。」と規定して最高裁判所が司法権の範囲内においてのみならず、一切の法律、命令、規則又は処分自体が憲法に適合するかしないかを決定する権限のあることを明らかにしている。若し憲法第八一条が最高裁判所の「法令等の合憲性審査権」を司法権の範囲内においてのみ認められるものと解すると、同条の規定は実質的には空文となり、最高裁判所の性格も旧憲法下の大審院と変りないこととなる。なんとなれば憲法第七六条に定める司法権は旧憲法第五七条の解釈と同じく当然に法令審査権を含むものと観念されているのであり、したがつて憲法第八一条の法令等の合憲性審査権は通常の法令審査権の範囲を出たものであることにその存在意義があると解せられるからである。また若し憲法第八一条を被告ら主張のように解するならば、憲法に適合しない法律、命令、規則又は処分もその制定ないし処分の権限を有する者が自発的に改廃しない限り現実の問題としては何時までもその効力を保有することになり、憲法は国の最高法規であつてその条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部はその効力を有しない旨規定している憲法第九八条第一項の規定に無意味となつてしまう。要するに裁判所は法令又は処分そのものの有効、無効の判断を行い得るものと解すべきである。
(2) 仮りに憲法第八一条を裁判所は司法権の範囲内においてのみ合憲性を判断し得るという趣旨に解するとしても、請求の趣旨(一)の(1)は特定の時期における特定地域の特定事項について請求の趣旨(二)ないし(四)の裁判を求める前提として地方自治法第二八一条の二の規定のうち請求の趣旨(一)の(1)の記載の部分が憲法に適合しない旨を決定する裁判所の権限の発動を求めるものであるから適法である。すなわち原告らは目黒区ないし北区の先任区長退職後の後任区長の選任権は原告ら区民に存するのに被告目黒区議会ないし被告北区議会が被告東京都知事の同意のもとに自ら特定の後任区長を選任することによつて原告らの選挙権を現実に侵害したことを不服として憲法第三二条にもとずいて具体的な権利関係につき司法権による救済を求めるとともに、憲法第八一条にもとずいてその判断の前提をなす地方自治法第二八一条の二の規定が違憲無効であることの確定を求めるものであるから、単にまだ訴訟も提起されていないのに将来を予想して憲法その他法令の解釈につき抽象的な判断を求める場合と異なり具体的な紛争にもとずいて具体的な法規の違憲性の確定を求めるものであつて、憲法第八一条の規定にもとずく裁判所の判断の対象となることは明らかである。
(五) 請求の趣旨(二)の(1)(2)、(三)の(1)、(2)、に(四)の(1)(2)に関する本案前の主張に対する反論
(1) 原告らは、請求の趣旨(二)の(1)、(三)の(1)、(四)の(1)において特定時における特定地域の特定事項である目黒区ないし北区の特定の先任区長退職後の各区長の選任権が原告らを含めた目黒区ないし北区の区民に存するのに、被告目黒区議会ないし被告北区議会が憲法に違反して無効な地方自治法第二八一条の二にもとずいて被告東京都知事の同意のもとに特定の者を後任の区長に選任して原告らの具体的な権利である特定の場合の後任区長の選任権を侵害したことを理由として該選任権が原告らに存することの確認を求めるとともに請求の趣旨(二)の(2)、(三)の(2)、(四)の(2)のように被告目黒区議会ないし被告北区議会による右各特定の区長の選任が無効であることの確認を求めるのであるから裁判所法第三条にいう法律上の争訟に外ならない。したがつて右請求はいずれも適法である。
(2) 憲法が国民又は住民に賦与する参政権は、国民又は住民が個人の資格において統治行為の成立に参加し得る至尊の地位であつて、この地位にもとずく統治行為への参加はそれ自体個人の人権を最終的に保障する役割を果し、国民又は住民に他に比類のない最大の利益をもたらすところのものである。憲法はこの参政権を至高の権利と認めて基本的人権として尊重し、その行使を保証しているが、とくに憲法第一五条は公務員の選定に関する参政権(選挙権)を国民固有の権利として保証している。しかして公務員の選挙権とは国民が選挙人団の一員として当該選挙区における公職の選挙に参加して投票をなし得る個人的地位であつて、選挙への参加、投票自体が個人の人権保障の役割を果すすべてのものであるから、個々の国民がこの地位を奪われた場合には他人の権利にかかわりなく個人としてしかも独立してその回復のために直ちに司法権による救済を求め得ることは基本的人権とせられた選挙権の本質上当然であつて、その侵犯によつて個々の国民又は住民に直接に権利義務の法律関係を生じたかどうかは問わないのである。それは次のこと、すなわち選挙人たる個人に選挙人名簿の脱落、誤記の訂正につき公職選挙法第二四条、第二九条の訴が許されていること、現に行われた選挙においてその管理、執行の規定に違反するところがあり、そのために選挙の結果に異動を及ぼす虞がある特定の場合には選挙人個人に選挙訴訟の提起が許されていること(公職選挙法第二〇三条、第二〇四条)、現に正当な手続によつて行われた選挙においても選挙会による当選人の決定に違法があり、そのために選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に選挙人個人に当選訴訟の提起が許されていること(公職選挙法第二〇七条)等によつて明らかである。本件において原告ら目黒区ないし北区の住民は特定の後任区長の選任に際し憲法第九三条第二項の定めによつて保証されている選挙権を侵奪されたのであるから、侵奪された自己の個人的地位を確保するために司法権による救済を求め得るのは当然であつて、単に個々の住民に直接の権利義務関係が発生しないことを理由としてかような訴の提起が許されないとするのは故なく司法権による基本的人権の侵害に対する救済を拒否するものに外ならない。
二 被告国代理人は、原告らの請求の趣旨のうち(一)の(1)、(二)の(1)に関する本案前の主張として次のとおり述べた。
(一) 請求の趣旨(一)の(1)について。
裁判所は具体的な法律関係の紛争についてのみ裁判権を有し、抽象的に法令が憲法に違反する無効なものであるかどうかについては判断する権限がない。原告らの右請求が具体的法律関係の紛争に関するものでないことは原告の申立及び主張に照らして明らかであるから右請求は不適法である。
(二) 請求の趣旨(二)の(1)について。
右請求は結局において原告佐々木正泰が目黒区区民の資格において区長の選挙人団の一員を構成し、選挙に参加して投票をなし得る地位を有することの確認を求めるものであるが、しかし原告佐々木正泰の区長選任権は原告自身に対して認められる具体的な権利ではなくして単に目黒区の区民一般に対して認められる抽象的な権利であつて、区民であることを前提として始めて認められるものである。裁判所はかような区民としての一般的抽象的な権利に関する紛争についてまでも裁判権を有するのではないから、右請求も不適法たるを免れない。
三 被告東京都知事代理人は、原告らの請求に対する本案前の主張として次のとおり陳述した。
(一) 請求の趣旨(一)の(1)について。
右請求は原告ら自身の具体的な権利又は法律関係の紛争に関するものではなく、単に抽象的に法律の合憲性の有無について裁判所の判断を求めるものであるが、かような請求については裁判所は裁判権を有しないものと解すべきであるから右請求は不適法である。
(二) 請求の趣旨(二)の(1)、(三)の(1)、(四)の(1)について。
右各請求はいずれも要するに目黒区長あるいは、北区長の選任権が原告ら区民に存することの確認を求めるというのであつて、前記同様原告らの具体的権利義務についての紛争に関するものではなく、結局地方自治法の本件改正規定の効力を争うことに帰するから、法律的争訟とはいえず、やはり不適法である。
(三) 請求の趣旨(二)の(2)、(三)の(2)、(四)の(2)について。
右請求はいずれも要するに無効な地方自治法の本件改正規定にもとずいて特定の者が目黒区長あるいは北区長に選任されたことが無効であることの確認を求めるというのであるが、かかる請求が原告の具体的権利義務そのものの法律的紛争に関するものでないことはいうまでもない。もつとも原告らは右選任によつて特別区長の直接選挙権を奪われたと主張するのであるが、そのことは結局抽象的に前記改正規定の効力の有無を争うことに外ならないのであるからやはり具体的な法律的紛争とはいえない。なお原告らが特別区の区民として原告ら自身の具体的権利の毀損を要件としないで本件の如き区長選任無効確認の訴訟が許されるのは、いわゆる民衆訴訟として法令に特別の定めのある場合に限られるが現行法上は特別区長の選任に関しかかる訴訟の提起を認める規定は存しない。よつて原告らの右請求は正当な利益を欠き不適法である。
四 被告目黒区議会、同目黒区長、同北区議会、同北区長ら代理人は、請求の趣旨のうち(二)の(1)(2)、(三)の(1)(2)、(四)の(1)(2)に関する本案前の主張及び本案の主張として次のとおり述べた。
(一) 被告目黒区議会、同北区議会は地方公共団体の議決機関として意思決定機関ではあるが、法人格を有しないので法律に特別の定めがある場合の外訴訟上の当事者とはなり得ないので右被告らに対する原告らの請求は不適法である。
(二) 原告らの請求は結局において原告らを含め特別区の区民として抽象的に法令の一般的効力を争ういわゆる抽象的な違憲審査に関するものであつて、原告ら自身の具体的権利の救済を目的とするものではないから不適法である。
(三) 広瀬俊吉は昭和三三年四月二八日に目黒区長を辞任したので同人の目黒区長選任の無効確認を求める原告佐々木正泰の請求の趣旨(二)の(2)の請求は確認の利益を欠き不適法である。
(四) 特別区が憲法にいう地方公共団体に該当するという原告らの主張は誤である。憲法にいう地方公共団体は市町村のようにその性格、権能において一般性を有し、それ自身完成しているものをいうのであつて、東京都の特別区のように都と一体をなして大都市を構成することによりはじめて一つの地方公共団体を完成するような部分的地方公共団体を意味するものではない。しかして特別区は明治一一年一一月に郡区町村編制が施行されて以来いわゆる自治区としての長い伝統と歴史を有するが、まだかつて実質的に完全な自治体としての機能を果したことはない。昭和二一年九月に東京都制の画期的改革が行われた後は特別区の戦時中における圧縮状態を復元する意味において一時これを地方公共団体に準ずる取扱をしたが、まだ完全自治体としたのではなく、昭和二七年法律第三〇六号の制定によつて特別区は都の内部的団体であることが明らかにされた。要するに特別区は憲法第九三条にいう地方公共団体ではないし、また特別区長の選任に関する本件改正規定は普通地方公共団体である東京都一般に関する法律の改正規定であつて特別地方公共団体のみに関する改正規定ではないから憲法第九五条にいう「特別法」には該当しない。
第三証拠関係<省略>
理由
原告らの本件訴が適法であるか否かについて判断する。
原告らは、憲法第八一条は最高裁判所及び下級裁判所に一般的抽象的に法令又は処分が違憲かどうかを審査し得る権限を与える趣旨であると主張する。しかし、憲法第七六条第一項が最高裁判所及び下級裁判所に賦与する司法権は、三権分立の原則を採用するわが憲法の建前からして当事者間の具体的な権利義務の紛争に関する民事、刑事及び行政事件の各訴訟、すなわち裁判所法第三条にいう「法律上の争訟」において紛争の事実を確定し、さらにその確定した事実に法令を適用して権利関係を確定することによつて当該具体的事件を解決する国家作用を意味するものと解すべく、最高裁判所及び下級裁判所のいわゆる違憲立法審査権もかような意味における司法権を行使するにあたつてこれに附随して認められるものであると解すべきである。原告らは憲法上最高裁判所及び下級裁判所が右のような趣旨の司法権の範囲においてのみいわゆる違憲審査権を行使し得るという制限規定がないから、抽象的一般的にも法令及び処分の違憲性を審査し得るものと解すべきであると主張するが、三権分立の原則からすればむしろ憲法上裁判所が司法権の範囲を超える権限を有することについて明文の規定が存しない限り憲法はかような権限を認めていないものと解するのが相当である。
さらに原告らは被告目黒区議会及び被告北区議会が憲法に違反して無効な地方自治法第二八一条の二にもとずいて被告東京都知事の同意のもとに特定の日時に特定の目黒区ないし北区の後任区長を選任し、その結果憲法によつて保証されている原告ら当該区長の直接選挙権が侵害されたのは具体的な紛争に外ならず、裁判所の判断の対象となり得るものであると主張する。たしかに抽象的にいえば特定の日時における特定の区長の区議会による選任が無効であるかどうかはそれ自体一つの具体的な法律上の紛争ともいうことができるし、また特定の日時における特定の区長の選任によつて原告らの直接選挙権が侵害されたかどうかは原告らの具体的な権利に関する紛争であるようにも見える。しかしながら、原告らの主張する区長の直接選挙権は区民に対して一般的に与えられる権利であり、原告らは本訴において原告らが当該区民であることによつて与えられる右のような一般的権利としての直接選挙権が目黒区議会ないし北区議会の後任区長選挙により侵害されたことを主張するのであるから、原告らのいう権利の侵害があつたかどうかは要するに国民又は区民として一般的に賦与されている権利に関する法律的紛争にすぎず、原告ら自身の具体的な権利義務自体に直接関係する法律的紛争とはいえない。原告らはもし地方自治法を前記のように改正した法律が無効ならば特定の機会に旧規定にもとずき区長の直接選挙が施行されることによつて自己の区長選任という参政権がみたされることを期待しうる地位にあることは肯認し得るが、このような関係にあることによつて本件区議会による区長選任により直ちに原告らの具体的な権利が害されたとすることはなお困難である。もともと参政権としての選挙権そのものは抽象的なものであり、それが現実に行使されるまでには多くの過程を経なければならない。その過程をとびこえて抽象的一般的な右選挙権そのものを害されたとすることは争訟としての具体性に欠けるものと考えるべきである。したがつて原告らが本訴においてまず地方自治法第二八一条の二が憲法に違反して無効であることの確認を求める(請求の趣旨(一)の(1))のは、原告らの具体的な権利義務とは無関係に抽象的な法律の効力の確定を求めるものであつて裁判所の行使する司法権の範囲に属しない事柄に関する請求であるし、さらに目黒区ないし北区各区長の選任権(直接選挙権)が原告らに存することの確認を求める請求の趣旨(二)の(1)、(三)の(1)、(四)の(1)記載の各請求もやはり原告ら区民が一般的に憲法あるいは法律にもとずいて区長の直接選挙権を与えられていることの確認を求めるにすぎないのであるからこれ亦司法権の範囲に属しない事柄に関する請求であり、法律上かかる訴訟の提起を認める特別の規定も存しない。また被告目黒区議会ないし被告北区議会による区長選任行為の無効確認を求める請求の趣旨(二)の(2)、(三)の(2)、(四)の(2)の各請求は実質的には原告らが一般国民あるいは区民としての公共的行政監督的な立場から行政法規の違法な運営の是正を目的として提起するいわゆる民衆訴訟としての性質を有するものと解せられるが、出訴者の具体的権利利益の侵害を出訴要件とはしていないいわゆる民衆訴訟は具体的な権利義務に関する紛争の解決を目的とする司法権の作用には属しないので例外的に法律に特別の規定がある場合に限つて認められるにすぎない。しかして区長選任行為の効力について一般的に区民が民衆訴訟を提起することを許した法律の特別規定は存在しない。(但し地方自治法施行令第二〇九条の八第三項、地方自治法第一一八条第五項には特別区長選任の議決に加わつた者は区議会による区長選任行為の効力を争つて訴訟を提起することができる旨規定されているが、右請求がこれにあたらないことは明らかである。)
原告らは一般に国民が憲法第一五条によつて賦与された公務員の選挙権を侵害された場合にはたとえ個々の国民に直接の具体的な権利義務の関係が生じない場合であつても直ちに司法権による救済を求め得ることは基本的人権とせられた右選挙権の性質上当然であると主張する。憲法第一五条第一項が国民に保証する公務員の選挙権は国民の代表者である公務員の地位の根拠を究極的に国民の意思にかからしめることによつて国民主権の政治の実を達成せんとする国民の基本的権利の一つであることはいうまでもない。しかしながら三権分立の建前のもとに裁判所が行使し得る司法権の内容はすでに述べたとおりであるから、憲法に違反する法律の規定が制定され、その規定にもとずき区民の直接選挙以外の方法によつて区長が選任されることによつて区民が区長直接選挙権を行使し得なくなるという一般的な結果を生じても、法律に特別の規定がない限り、(原告らの本訴請求のような形による訴の提起を認めた法律の特別規定が存しないことは前述のとおりである。)事柄が出訴者である原告らの基本的人権に関するものであるにしても原告らが右のような一般的な結果を取り上げて裁判所に出訴することはできないものといわなければならない。(ある法律が憲法に違反するかどうかはもちろん法律上の問題であるが、それが裁判所によつて判断されるについてはそれにふさわしい争訟性をそなえなければならない。それをそなえる限りは裁判所は原則として事案解決のため、もしくはその前提として、これを判断し得るであろう。故にもし本件のように地方自治法第二八一条の二によつて選任された区長によつて特定の行為がなされた場合に当該行為によつて具体的な権利利益を侵害された者があるならばその者が訴訟上区長選任の違憲ないし違法を主張してその適格を否認することによつて当該行為の効力を争うことは事案によつては今日においてもなお可能であろう。そしていやしくも区長選任のよつてもとずく法律が違憲の故に区長が適法の存在でないとすれば当該区長によつてなされる個々の行為の効力を争わしめるよりも、その根元にさかのぼつてその選任の無効を争わしめ、もつて公法関係の画一性を期する方がより利益であるとする考方もあり得る。しかしそうすればこれも結局においてその性質は、前述の民衆訴訟たるべきものであるから、一の立法論に帰着するのである。)
以上のとおりであつて、原告らの本訴請求はいずれも裁判所の裁判権に属しない事項をその対象とするものであるから本訴はその余の点を判断するまでもなく不適法であつて却下を免れないものといわなければならない。よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 浅沼武 菅野啓蔵 小中信幸)